
この二か月、米国株は「上がりすぎて絶望する」とはどういうことかを、初めて私に思い知らせてくれた。
いまや、CPOとLPOの違い、MLCC三強の違い、HBMとDDRの違いを語れる人間のほうが、戦隊ヒーローの四人目と五人目の見分けがつく人間より多い。
煽られている銘柄は、夜に取引アプリを開けばいきなり10%高から始まり、引け後も人を休ませてくれない。アーニングコールひとつで上下30%の振れ幅だ。もっとも、上がるのは決まって他人の銘柄で、下がるのはたまに自分の銘柄。AI関連ならどの銘柄でも、5年チャートを開いて上昇率が300%を切っていれば、第一感は「安すぎる」である。
それに比べ、自分の口座の利回りだけが冗談のように見える。一年かけた儲けが、多くの人の一週間の儲けにすら届かない。毎日市場が上がるのを眺め、たとえ自分の口座が増えるのを眺めても、喜びなど一滴も湧いてこない。湧いてくるのは、不安と後悔と恐怖だけだ。
このパーティーも、いい頃合いになってきた。抜け出したい——だが自分が出た途端、DJが本気の選曲を始めるのが怖い。残りたい——だが東の空は、もうはっきりと白々と明けかけている。
バフェットも、ハワード・マークスも、バリュー投資も、安全域(マージン・オブ・セーフティ)も、もはや効かない。普段は寄り付きが何時かも気にしない友人が、いきなり半導体を仕込んだとSNSに上げている。普段はネズミの解剖に没頭している友人が、急にマイクロソフトは割安かどうかを滔々と語り出す。
神に問うた。「どうすればいいのですか」と。神は言われた——「光あれ。ついでに、ストレージも少々添えておくがよい」。