訳注:豆瓣(ドウバン)は中国の大手SNS・口コミサイト。Weibo(ウェイボー)は中国版Twitter。「相亲(シャンチン)」は結婚を前提とした紹介交際・見合いを指し、本文では「お見合い」と訳す。

去年、大学を出たばかりの頃だったと思う。誰かのWeiboのコメント欄で「豆瓣にはお見合い目的の人が大勢集まるグループがあるらしい」という書き込みを見かけ、好奇心から豆瓣で「相亲(お見合い)」を検索してみた。

地域ごとのお見合いグループは山ほどあったが、その投稿の大半は一目で詐欺とわかるものばかり、残りは結婚相談所(業者)が撒いたものに見えた。まさに「悪貨が良貨を駆逐する」(グレシャムの法則)が完全に進行しきった状態で、価値のあるものは何ひとつ残っていなかった。

ところが、そんな中でこのグループを見つけた。少なくともパッと見たかぎりでは、生身の人間が本音を綴っており、実に興味深い。長らくここを眺めてきたので、以下、私の観察と提言を述べておきたい。

もっとも、これまでの観察からも、そして人間が否定的な評価に本能的に示す反応からしても、どれだけ客観的かつ公正に書こうと、相当数の人に完膚なきまでに叩かれるのは目に見えている。だが構わない。筋の通った批判であれば、いくらでも受け入れる。

まず、私自身のことを少し話しておく。自分の状況を述べるのは、私が社会の中の一部の男性しか代表できない、と伝えるためだ。私の見方や考えには代表性もあるが、同時に一面性もある。もしあなたが探している相手が私のようなタイプなら、少なくともこの層の男性が女性側をどう見ているかはわかるはずだ。これは断じて上から目線で言っているのではない。誰もが社会の一員であり、他人にどう思われようと一切気にしない、などということは誰にもできない。「あなたにどう思われようとまったく気にしない」などと反論したところで、私に言わせれば何の意味もない――家に引きこもって一生外に出ず、社会活動を一切しないというのなら、話は別だが。

さて、ここで私が観察したことを述べていこう。

  1. このコミュニティの空気は、ダブルスタンダードがあまりに根深い。

私は個人的に、結婚には確かに利害の天秤と交換があり、それと同時に異性間の引かれ合いという、最も素朴でありふれた感情もある、と一貫して考えてきた。その両方が存在するが、前者のほうが大きい(今の社会は生き抜くプレッシャーが本当に大きく、結婚で経済的な損得勘定をしないでいるのは難しいからだ)。だから、女性が「あの男はケチだ」と愚痴をこぼしたり、「二人のお見合い相手のどちらと進めるべきか見てほしい」と皆に相談したりするのは、ごく普通のことだと思う。だが私が驚いたのは、確か今月、ある男性がまったく同じ趣旨の投稿をしたときのことだ。「二人の女性のどちらを選ぶべきか評価してほしい」という内容だったが、瞬く間に大量の非難を浴び、あまつさえ罵倒や人身攻撃まで飛んできた。曰く、女性をモノ扱いしている、と。女性に裏切られるのを心配するのは悪意ある邪推だ、と。挙げ句、「将来寝取られればいい」と呪う始末である。このダブルスタンダードのせいで、このコミュニティでは男性側の意見が極めて得にくくなり、質の高い議論はほとんど成立しない。

  1. 私はこれまでの人生で何度も失敗を経験してきたが、そこから得た最大の教訓はこうだ――「問題解決の第一歩は、問題があると認めることだ」。

人身攻撃のつもりは毛頭ないが、このコミュニティの女性の多くは、(お見合いがうまくいかない、そもそも機会がない、という状況を)分析するとき、自分自身を起点に論じる習慣がまるでないように思う。というのも、このコミュニティの活発な投稿者の中には、プロフィールに自分の写真を載せている人がいるが、実はその女性のかなりの割合が、容姿で言えば「中の下」に位置しているのだ(「美人かどうか」が主観的だというなら、こう言い換えてもいい――顔のパーツの左右対称性が乏しく、自分の輪郭に合った髪型をしておらず、肌の色ムラがあり、健康的な印象に欠ける、と)。そして男女の異性交際において、女性の性的魅力(見た目の良し悪し)は、その重要度の九割を占める。だとすれば、このグループの大半の人がお見合い相手を見つけられない、あるいは会ったあとに交際を続けてもらえない理由は、九割がたこれだと私は思う。この理由さえ認めてしまえば、多くの議論は実のところ不要になる(たとえば、チャットのスクショを手に「私、何かまずいこと言った?この男性、どういうつもり?」と何度も尋ねる類だ)。まずは自分の容姿を客観的に評価し、次に、相手が容姿のせいで自分への興味を失ったのではないかを点検する。その可能性を排除したうえで、ほかの可能性を論じる――そうすれば、議論はずっと実り多いものになるはずだ。ここで非常に重要なのは二点。容姿の自己評価はあくまで客観的に行うこと。そして、不快感を乗り越えて、自分が容姿の面で大きく不利だと認める覚悟を持つことだ。

  1. 多くの人は、お見合いの場で前提の共有も共感も欠いている。

ごく単純な例を挙げよう。多くの人が、初対面では男性が費用の大部分、あるいは全額を負担すべきだと考えている。この考えが妥当かどうかはひとまず措くとして、これが中国(ひいてはアジア)の社会風土と文化的共通認識に根ざしたものだと仮定しよう。だとすれば、女性のほうも当然、多くの男性が知りたがる「あなたは家事のより多くの部分を担う気がある(担える)か」という問いを、共感をもって理解すべきだ。なぜなら、これもまた伝統文化が我々にもたらした固定観念だからである。いかなる議論も、共通認識を築いたうえで進めるべきだ。もし皆が「伝統文化に由来する一部の慣行(男性が多めに支払い、女性が多めに家事をする)は、不合理ではあるが、確かに広く受け入れられている」と考えるのであれば、男性に支払いを求めておきながら、「結婚後はあなたが家事を多めに担うべきだ」という男性の考えに烈火のごとく激怒するのは、はっきり言って実に身勝手である。

  1. 多くの人は、誰もが結婚において「与えるもの」も「得るもの」もある、という事実を認めようとしない。

昨今、世間ではこんな論調が流行っている――「努力しない女は、結婚するハメになる」「私を気に入らないとはどうも、誰かに気に入られる必要なんてない」「私は経済的に自立しているから、相手にお金があるかどうかなんて気にしない」。私が思うに、男性と女性が結婚市場にやって来るとき、その求めるものは最初からまったく違う。男性が求めるのは、見た目が良く、性格が自分と合う相手だ(多くの場合、優しさ、共感力、怠惰でない、といった資質)。一方、男性が差し出せるものは、たいてい経済力だ(安定した収入源、不動産の使用権など)。だから、見た目の良くない女性にとっての最適戦略は、自分が伸ばせる部分(性格、勤勉さ、多少の性的魅力を発する術)を伸ばすことだ。これはフェミニズムかどうかとは関係がない。ゲームに勝ちたければ、相手のニーズを理解すべきなのだ。男性も同じで、ゲームに勝ちたい男性は、相手のニーズ(安定した収入源の提供、不動産の使用権の提供)を満たそうと全力を尽くす。ここの女性の多くは、まず「顔面偏差値」という最大のニーズで自分に競争力がない、という事実を認めない。そのうえ、「顔」以外の男性のニーズを「男尊女卑(マチズモ)」とみなし、男性が自分の写真を見たがるのを「スケベ」「下品」だと感じる。そして最後には、付き合うにも結婚するにもふさわしい相手がいない、と自分で愚痴をこぼすのだ。これはまるで、麻雀牌を一式抱えてポーカーの卓に来て、挙げ句「どうして誰もポーカーに付き合ってくれないんだ」と文句を言うようなものである。

  1. 大多数の人は妥協したがらない。

というのも、婚活市場もまた、公開かつ公平で、価値が即座に発見される(プライス・ディスカバリーが働く)市場だからだ(=付き合ってみて初めて、実はこの人が美女だった、隠れ富豪だった、などと判明することはない)。取引になぞらえるなら、お見合いのマッチング過程はこうなる。最良なのは、顔面偏差値が高いがゆえに、常に相手のほうから言い寄られる状態。次が自由恋愛で、接触した相手の一部があなたの特質(可愛さ、博識、優しさなど)に惹かれて付き合ってくれるケース。そして最後が、お見合い(第三者があなたたちの取引を仲介する)だ。さて、ここの女性の大半は、最も不利な取引段階にいる(主観的な理由かもしれないし、客観的な理由かもしれない)。だが、最も重要なのは事実を認めることだ――つまり、あなたが置かれている段階では、あなたが出会う相手は、高い確率であなたの目に映る「歪瓜裂枣(=いびつな瓜と割れたナツメ。不器量な者を指す中国語の喩え)」であり、あなたもまた、高い確率で相手の目に映る「歪瓜裂枣」なのである。これを認めて初めて、あなたは自分の強みをよりよく発揮し、弱みを避けられるようになる。そしてこれを認めれば、「どうして私は恋愛ができないのか」という数々の嘆きの答えは、実は極めて明白だ――あなたは、自分に合わない戦略でゲームを戦っているのである。

  1. ここまで言えば、「結婚や恋愛を『取引』と呼ぶなど、俗っぽく、下品だ」と反論する人が大勢いるのはわかっている。

だが、いかなる問題を論じるときも、まず最初にすべきは、その問題を概念化し、抽象化することだ。お見合いで何ひとつ計算しない愛に出会った人も、きっといるだろう。あらゆる条件がまるで噛み合わない二人が、この上なく幸せで円満な結婚生活を送っている例も、きっとあるだろう。だが、個別の例を持ち出して反論することには、何の意味もない。我々が論じているのは、圧倒的多数を占める「普通の人」についてだ。あなたの運は普通、持っている資源も普通、婚活市場での目的も普通(見て気に入った相手と所帯を持って暮らす)――あなたは極めて高い確率で「普通の人」の範疇に収まる。ならば、あなたの問題もまた、極めて高い確率で、概念化・抽象化して分析し、解決できるはずではないか。

理性的な議論は歓迎する。だが、開口一番ただ感情をぶつけ、罵り、レッテルを貼るだけなら、それは私に言わせれば、自分の問題の解決には永遠につながらない。